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北摂地域のミニFM文化。

1990年前後、まだ関西に民放FM局が2局(FM大阪とFM802)しか存在していなかった時代。
個人が開局するミニFM放送局ブームが関東・近畿を中心に広がっていた。
近畿では西大阪地区・豊中地区・枚方寝屋川地区・東大阪地区・河内地区の各地域でそれぞれネットワークが形成されており、相互間の連携も一部では存在した。

当時北摂に住んでいた私も、団地高層階という立地条件が幸いして北摂地域のミニFMを受信する機会を得られた。
私が主に受信していたのは枚方寝屋川地区のキー局3局(YYS/KFS/KYC)。
YYSは西大阪地区と連携しつつも独立局的な存在で、週末の電話リクエストが主であった。
KFSも西大阪地区と連携しつつ、リスナーから開局の道へ進んだ局をネットワークに巻き込み1大勢力を築き上げていた。週末にはネット局と共同で電話リクエストを実施しつつ、アマチュア無線で「ラグチュー」と呼ばれる世間話に花を咲かせていた。西大阪地区の中心的存在であったNBS-FMのメイン番組「フライト・オブ・キングギドラ」が鉄道ネタを多く取り上げていた事もあり、私自身もリスナー・中継局双方の立場で関与していた。
KYCも元はKFSとのネットワークを形成していたが、様々な経緯がありKFSとは別個のネットワークを形成していく。こちらには長老的(年齢的にも技術的にも)存在であったFM798さんの存在が大きく、KFSと袂を分けてからは対立姿勢を強めてゆく。こちらも週末は電話リクエストを行い、1990年初頭には24時間電話リクエストを敢行した事もある。リスナーの集いなどのイベントを開催した事もあり、私もリスナーとしての立場で(実は局長としてはKFSに近い立場にあったのだが、正直電話リクエストやラグチューはKYCの方が面白かった)参加した事もある。

リスナー層も日々拡大し、NHK-FM・民放FMのいずれもカバーし切れなかった需要を見事に捕らえていたのだが、民放FMの相次ぐ開局(Kiss-FM、α-station)による周波数の減少や電監の取締強化(豊中地区の中心的存在であったTIN-FMの電波法違反検挙は象徴的な事件であった)、さらに局長やリスナーの環境変化も相まってミニFM文化は1990年以降徐々に衰退し、1990年代前半が終わる頃にはほぼネットワークは消滅した。

今頃になってこのような昔話を記録するきっかけになったのが、先日とある旧関係者から頂いたメール。
修士論文のテーマとして1990年前後のミニFM文化を現在のインターネット文化(とりわけblogやSNS文化)と対比して検証したいという趣旨であり、私も微力ながら協力したいと考えている。
往時の記録はネット上にも意外と残存せず、特に枚方寝屋川地域の記録は検索し尽くしてもほとんど見つからないのが現状である(前述の事情で、KFS側・KYC側双方とも書きにくい事情がある事は理解するが)。
今回私が協力したいのも、記録の少ない部分について是非何らかの資料に残しておきたいという思いがある。
私にとって高校時代はアマチュア無線とミニFMに明け暮れた時代でもある(当時は鉄道趣味から一瞬距離を置いた時期でもある…この時代があるからこそ大学時代に鉄道趣味への傾倒が強まったとも言える)ので、この時代を何とか形に残しておきたいという気持ちがここ数日強まっているのも事実である。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

>寝屋川市民38歳さん

コメントありがとうございます。同世代ですね!
昔のラジカセはチューナーがダイヤルだったことも、ミニFM局を聴くきっかけを広げていたかと思います。
今のようにデジタルチューナーが主流になってしまうと、こういう偶然の出会いもなかなか実現しないですよね…

私も、この記事を4年ほど前に何気なく書くまでは、YYS山本さんがお亡くなりになったとは知りませんでしたし、書かなければ今でも知らなかったのだろうと思うと、複雑な気持ちになります。

「マニュアルも道しるべも無い所から探しだしたあの興奮と感動」については、コメントを頂いた方が現在研究を進めておられます。
あの時代より前でも後でも成立しえなかったパーソナルコミュニケーションの稀有な実例として、この駄文がお役に立てば幸いです。

中学高校と深夜のお供にラジオをよく聴いていた一リスナーの者です。
ミニFMの知識が無かった当時、何気にラジカセのダイヤルをゆっくり回して新聞に載っていない放送局を見付けた時の感動は今でも忘れる事が出来ません。
私が聴いていたのは主にYYSさんだったと思います。
ネットの普及により、ポッドキャストなどをされているのかなぁと思い出しては
「寝屋川 ミニFM」なんて検索をしていましたが、お亡くなりになられたとの情報に大変ショックを受けております。
マニュアルも道しるべも無い所から探しだしたあの興奮と感動を再現したく何か出来ないかなぁと日々あれこれ考えている自分がいます…

>シルキーさん

98さんの気さくな人柄がよく分かるエピソードですね…ライブ&CD&お電話など。
10代後半から20代前半がほとんどだった中で、98さんの存在感は際立っていましたね。
いい意味で「親分肌」でしたね。

私も、このブログで98さんの事をこういう形で知ることになってしまったのは残念という他ありません。
しかし、98さんの周りに集っていた方々が再び
ここに1人、また1人と集まる機会を作る事が出来たのは望外の喜びです。

この記事自体が、ある意味深夜の電リクラグチューに近いノリではないでしょうか。
1人が電話を掛け終わると、また次の方から電話が掛かる、あの頃の雰囲気がここで蘇っているような気がします。
もっと多くのリスナーが集まれば…

原始霧さん

お返事有難うございました。
98さんとは、ライブに行ったり♪CDを借りたり♪
たまに電話をいただいてお話したりしてました。
(付き合ってませんよ~!!親子ほど年齢離れてますから。友達?う~ん?98おっちゃんですね)
毎年年賀状もいただき、私も出していましたが
ある年から年賀状も来なくなり、連絡もなくなりました。
その頃はPCも携帯も持ってなかったし、どうされたのかな?と思っていたのですが、お身体悪くされてたんですね。
98さんの男前な声が聞けなくなったのは、凄く寂しいです(´;ω;`)ウウ・・・

皆さんお忙しいとは思いますが、98さんを偲んで
懐かしいメンバーの方達で、ネットラジオでもしていただけたら嬉しく思います。
その時を楽しみに、毎日ブログ拝見させていただきます。
長々と申し訳ございませんでした。


>シルキーさん

コメントありがとうございます。
姉弟でミニFMを聴いておられたのですね。

98さん、我が両親とも歳が近かったのですね。
当時は両親よりも98さんの方が若いと思っていましたので、意外な気持ちです。

シルキーさんの名付け親が98さんだったのですね。
あの頃は、様々なリスナーが98さんにラジオネームを決めて頂いていたように記憶しています。もしかすると、私も「命名」の瞬間を聴いていたかも知れません。

弟と一緒に昔聞いていた「ミニFM」の事を思い出し検索してみると、98さんが亡くなられてた事を知りショックでした。
私の母親と同じ年齢なので(今年63歳)まだお若いのに・・・どうして(u_u。)
電話リクエストにも何度か出させていただいて、すごく楽しかったのを覚えています。
その当時、お姉さんと呼ばれていたのですが、98さんがシルキーさんにしようと付けていただいたリスナーネームでした。

98さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

>WPAO7780さん(またの名をパオパオさん)

ラグチューではよくお声拝聴してましたよ。
私の方は初めましてになりますが(恐らく)。

乱立する八木アンテナ…それも垂直偏波…
どう見ても怪しいですよねcoldsweats01
そのアンテナをみてミッタを自作する辺りが当時のミニFM局長ならではですね。
もちろん私もそういう1人でした。

あの距離でしたら、ワイヤレスマイクキットでもきっと届いていたでしょうね。
帯状布さんのお名前も懐かしいです。
そもそも帯状の布って何なんだ?と当時は思ったものです。

電話番号をFM周波数から選択するとは!
しかも774ですか…時代を先取りしてますねcatface

パオパオさんのお名前、アメリカ風なんですね。
ラジオのイヤホンからはアメリカ風”WPAO-FM 7780”というよりモンゴル風「パオパオ」という響きに思ってしまいましたcoldsweats02

今も某氏さんと交流があるのですね。
私は北摂を離れてから本当にご無沙汰してしまっていたのですが、今になってこのような繋がりが出来るとは夢にも思いませんでした。
久しぶりにミニFMの話題で盛り上がり、すっかり感傷に浸りながら書き記した記事が今や弊ブログで最もコメントを集めた記事になってしまったのは、嬉しいやら何とやら…

そんなこんなで…というキュッパさんのフレーズも懐かしいですね。あの声が再び聴く事が出来ないとは…と、またまた感傷的になってしまいます。
当時のメンツが勢揃いすると、いったいどんな感じになるのでしょうか…ここにコメントが集まった方々だけでも往時の雰囲気が蘇りそうな気がします。

私の方も長文なレスになってしまい恐縮です。
またお立ち寄り頂けましたら幸いです。

突然…といいますか、なんか蒸し返すと云いますやらなんですけども

なんか名前が上がってましたもので、性懲りも無くカキコでし。

実はその当時豊中に住んでたのが、香里園に引越ししまして.....から始まるのかσ(^^)

移ったハイツの裏とゆ〜かお向かいとゆ〜かの屋根に、やたらと八木の林が生えてまして、しかも不思議なことに魚の骨状態に縦に並んでいるのを素人ながらどぉ〜ゆぅ〜ことナンやろとかと不思議に思っていたわけです。そのうち正体判明するわけですが…

で、ミッタなるものを作ってみましたよ、嬉々として(・∀・)<勿論知識なんかないですから、キットですけどね。

中継(ってか、その距離で必要ないやろ)してたら速攻氣づかれまして、即らぐちゅ〜になりました。何処ですか…って話になったんですが、ぃゃぁ〜そのぉ〜って、こっちは裏窓開けて、向こうはベランダ出たらそのまんま会話できる(*´艸`)それがこの世界に首突っ込んだ経緯ですた。その後に帯状布氏から電源作っていただいたり…とか

で、引越しの際に電話を引く折りのこと。番号をFM帯で探してたんですよね。そしたら32-7740が空いてましたんで、当初は77.4で出してました。それが元で、名無しさんと呼ばれてたりもしました(今思えば2chかよって感じですがね)乗ってた車からモジってミモーとかも云われてたかな。後に、他と被るとか話になって77.8に結局移すんですがね(∋_∈)

その辺りの経緯で、宗旨(ってか派閥?)替えに成ったような気がします。土手の花火はちょうどのその時期で、土手の上からちらっと眺めただけでした<摂津峡は参加させて頂きましたけどね。

77.80に移行して名前をどうするか....と悩む程でもないのですが、80でパオとしようかと思ったんですよ。アメリカ風に”WPAO-FM 7780”

それが、滑舌悪かったのかパヤとか言われて挙句パヤパヤと(^^;


その後結婚して、香里丘の反対側にまた引越しして電波入らなくなったんで次第と足が遠のいて行ったんですけどね。


あぁ〜懐かしいですね。ここのアドレスぼうしさんからおうかがいしました。ぼうしさんからはご丁寧に毎年年賀状頂くのですが、こっちは失礼しっぱなしでσ(^^)先日三宮に行ったついでに、年賀状の住所をたよりに不躾にも襲撃しまして、運良く念願の再会を果たしたんですよ。

そんなこんなで....(これって98さんの専売特許でしたよね?)当時のメンツ勢揃いとか<まぁ〜ムリかな┐( -"-)┌


長文駄文長々失礼しますた m(_ _)m

>某氏さん

コメントありがとうございます。
実は今日まで、某氏さんの事を「帽子さん」と勘違いしていた、当時のラジオネーム「D51」です^^;

※声だけで漢字を想像する難しさ…

私もこの日記が寝屋川・枚方地域のミニFM局の記憶をこれほどまでに呼び起こしてしまうとは、夢にも想像出来ませんでした。懐かしいあの時代の空気が20年以上の時を経て共有出来る事の素晴らしさを改めて感じる次第です。

私も摂津・東淀川周辺局との関係もあり、寝屋川・枚方局間の微妙な空気の中で泳ぐには中立的立場を守りつつ八方美人的な(或いは日和見な)ことをしていたので、あの周辺にお住まいだった某氏さんの立場であれば一層微妙な立場に立たざるを得なかったのではないかと推察します。今から考えれば取るに足らない対立のための対立だったのかも知れませんが…

1988年か1989年だったかは私も記憶が薄れつつありますが、某氏さんが仰る焼肉イベントに私も実は参加していました。摂津峡で行われましたよね?
参加条件が「肉持参」というのが、手作り感満点なミニFMらしいものだったなと思い出しました。
イベントで作ったTシャツ、ありましたよね。翌年夏の798さん・KYCさん主催の淀川河川敷花火大会で配られた「Freedom West」とヨーロッパ大陸の地図が描かれたTシャツも、まだ実家にはあるはずなのですが…さすがに処分されているかも知れません^^;

電話リクエスト、リスナーの電話音声が電波に乗って自分も一瞬局長に近い立場に立てるのが魅力だったと私も思います。個人宅の電話番号を電波に乗せてしまう事が出来たのも、おおらかなあの時代だからこそかも知れませんね。

 いきなりのコメントする失礼をお許し下さい。
 ふと「ミニFM 寝屋川」のキーワードでググッてみたところ、懐かしいお名前がたくさん目の中に飛び込んで来て、コメントしないではいられなくなりました。
 かく言う私もほんの一時期だけですが寝屋川で局長の立場にいたものです。
 KFSさんに中継を載せてもらって番組を流していたこともありました。
 TUSさんを最初に受信したことがきっかけでその世界に足を踏み入れ、局間の微妙な空気のなかでなんとか中立的立場を守りつつ八方美人的な(或いは日和見な)ことをしていたなと、今思うと優柔不断もいいところなあの頃の自分が痛く感じられます。
 88年だったと思いますが、KFSさん、798さん、マルチさん(NKB)、さんそしさん(NKB第2)、エミッタさん(FMーα)、LFさん、イルカさん、帯状布さん(HLP)、たけちゃん、、などなど局長立案の焼肉イベントもいい思い出です(古い記憶なので、不参加の人が入っていましたら申し訳ありません)。
 このイベントのために作ったティーシャツを押入れの中から見つけましたww(なんでまだあるんだろうw)。
 798さんの訃報は私も風の噂で耳にしたとき、大変驚き、残念に思ったのを覚えています。
 そのすぐあとにYYSのYさんが事故で亡くなられたのを偶然新聞で目にし、驚き、残念だったのも覚えています。
 タッグでぽんや、たけちゃん電話リクエスト、このあたりが私の覚えている一番印象に残った番組でしょうか。
 たけちゃん電話リクエストでは、リスナーの電話音声も電波にのせて、ラグチュウ気分を少し味わえるようなところも受けたのではないでしょうか。
 ただ、空気の読めないリスナーがだらだらとしゃべり続けることもあったようですが。。(笑)
 なにもかも懐かしい思い出です。
 まだまだいっぱい書きたいですが・・それこそKYになりそうですので^^;。。この辺で。

 懐かしい思い出をありがとうございました。

追記(私信ですね^^;)
 マルチ君お元気そうですね。
 よく寝落ちしてたのを覚えていますw
 今はお幸せそうですね^^
 お体に気をつけて、頑張って下さい^^

XT2局長より

>あの名を名乗るのは、、、さん

ご無沙汰しております。
淀川のリスナーの集いで貴方のバイクの給油口にロケット花火が突っ込まれているのを見て大笑いしていた、当時のラジオネーム「D51」です。
確か同級生だったと記憶していますが、あれから20年経ってしまったのかと思うと、歳を取ったなと思います。

素敵な奥さんとお嬢さんもいらっしゃるんですね。
当時のラグチューぶりからしても賑やかで温かいご家庭であろうと想像出来ますよ。

あの頃の関係者が今集まれば、どんな感じになるのか…参加してみたいような、怖いような…

その昔、中〜高校生時代にミニFM局を開局していました。

もう37歳になります。

今では可愛い娘に綺麗な奥さんもいます。。。

いい親父になりましたが、798というフレーズで涙が出て来ました。

夜が明けるまでラグちゅうに没頭したものです。。。

あの時代の経験が今の私に役立っているのか?は解りませんが、

あるとすれば、何故かダラダラした長電話は落ち着きますV^^

もし今、あのメンバーが終結したら、、、ワクワクしますね。

ちなみに798さんは私の父ではありませんが、よき相棒でした。

>Kwarさん
>Northさん

コメントありがとうございます。
北摂ミニFMブームの覚え書きのつもりで書いたblogがここまで有意義な形になるとは、望外の喜びという他ありません。
Kwarさんからの資料ご提供の申出と、Northさんからの仲介ご依頼につきましては、改めて私からお二人にメールを差し上げるつもりです。

改めてコメントへの返答です。

>Kwarさん

岡村孝子さんの「微風」と、竹内まりあさんの「駅」の、大人びたしっとりとした雰囲気のテーマ曲がKYCさんの人柄を現わしていたように感じます。
未だに時々、夜更けに「微風」と「駅」を聴いては当時を思い出す事があります。

タケちゃんのエピソードは、本人を拝見した事があるので思わずうなづいてしまいます。PLLロックまでゲタのスイッチを入れまいとジッと待っているKYCさんの表情も想像出来てしまいますね。

安岡寺!高槻ミニFM界の拠点でしたよね…
ミニFMの炎がコミュニティFMに結び付いているという話は高槻にもあったのですね。
地元密着を目指すには、地元の力が不可欠だと思いますし…

>Northさん

私も1991年以後、1990年代後半のミニFM消滅までの歴史を直に見る事が出来ませんでしたので、この間の流れは是非整理された形で見てみたいと思っています。
今回のKwarさんの資料でその辺りが解明されればと願うばかりです。

Kwarさん

こんにちは。はじめまして。
ご連絡いただきありがとうございます。

KwarさんはKYCをよく聴いていらっしゃったのですね。
大変詳しく記述されておられるので驚いております。
私は、1986年から1990年頃まで吹田・豊中方面の片隅でミニFMを開局しておりました。ですので、御殿山の「ノースさん」ではないです。
ちなみに、年齢は3度目の年男taurusです、といったら分かってしまうでしょうか(笑)現在、仕事をしながら社会人大学院生として頑張っているところです。ミニFMについて、いままでアカデミックな場面でまともに論じられてこなかったので、現在のラジオメディアや地域メディアの状況に対する問題提起も兼ねて論文を書こうと思いました。

記録資料についてですが、一度拝見できれば、
私としても大変ありがたいです。特に1993年以降のデータが少ないので、その辺の資料も見てみたいです。
また、KwarさんのミニFMのリスナーの御立場としての話を聴かせていただけば嬉しいです。

修士論文については、「ミニFMネットワーク」のメディアとしての特徴をメディア論的に記述しようという方向で執筆中です。ですので、具体的な事実は多少記述していますが、中心はミニFMの特性や特質を記述する方向で書いています。

詳細な話につきましては、メールでやりとりできれば嬉しいです。よろしくお願いいたします。

原始霧さん:もし可能でしたら、Kwarさんとのメアドの交換をお願いしてもよろしいでしょうか?スミマセン。お手数おかけいたします(^^;)ゞ

こんにちは。

枚方の御殿山の方面に「ノースさん」という局長さんが
おられたんですが、Northさんは、その方でしょうか?
違っていたらすみません。

今年度いっぱいかけて、修士論文に取り組まれるのですね。
リスナー当時は、かなりお若かったんでしょうか。
私は、1991年春以降でしたら、克明に記録をとったり
膨大な録音テープを残したりしています。
Northさんが、その時期にKYCさんの番組に手紙を出したり、
KYC系にラグチューで電リクをしたことがあるなら、
今も残っている私のノートにペンネームがのっています(笑)。

KYC-FMから流れていた歌手名も、日付とオンエア開始時刻入りで
記録しています。
毎週の番組オープニングは岡村孝子の「微風」、
エンディングは竹内まりやの「駅」でした。
閉局前の最後のアルバムは、1995年8月19日深夜、
番組の後の渡辺美里で、翌朝10時前に無期限停波しました。

ラグチューで話されていた内容も、膨大な量のメモがあります。
KYCさんはPLLがロックするまでゲタのスイッチを入れないとか、
タケちゃんが小学校のクラスの文集で女の子を口説いたとか、
LFさんは「醤油」という字を書けるとか、
キュッパさんはビートルズのCDを19枚持ってるとか、
マルチさんはヤンリクが終わってAMからFMに移ったとか…。
ラグチューも日付と時刻と参加の局長名を全部記録しています。

研究の足しになるならノートのコピーを提供しても
かまいませんが…。

アマチュアミニFMは、人口比から言うとわずかなリスナー数
でしたが、高槻市安岡寺地区のエクセルネットワークが、
比較的、地域のリスナーが多かったかも知れません。
私は受信したことがありませんが、有名でしたね。
高槻市内の企業家が一時期、コミュニティFMの開設を目指して
駅前通りの商店街でアマチュアミニFMを立ち上げた時に、
エクセルのメンバーの協力を求め、実際協力していた
と思います。今の高槻のWebラジオがその発展形なのかは
知りませんが。

>Northさん

こちらこそ、ご無沙汰しています。
この記事は私がblogを解説して以来最も多くコメントを頂いた記事となり、大阪北部ミニFMブームが決して矮小なものではなかったのだと、ブーム終焉から10年以上経過した今になって改めて認識した次第です。

KYCさんは岡村さんだけではなく、当時のファンハウス所属アーチストを手広く扱っていた印象はありますね。私が岡村孝子さんだけではなく辛島美登里さんのファンになるきっかけにもなりましたしhappy01
アルバムを深夜中エンドレス送信というKYCさんの送信スタイルも懐かしいですね。

798さんの事は、私も非常に感慨深いものがあります。あのコメントを頂いた日、淀川河川敷で花火大会を少年のように楽しんでいた798さんの姿を夢でお見かけしてしまいました…ついでにマルチ君のバイクの給油口にロケット花火が突っ込まれて火がつけられそうになったところをマルチ君が慌てて止めに入った件もcoldsweats01

修士論文のabstract、楽しみにしています。
毎月定期的に大阪に出向く用事がありますので、その折には是非ミニFMの昔話を肴に飲みたいですねsmile
またメールで連絡いたしますhappy01

原始霧さん
お久しぶりです!
その節はお世話になりありがとうございました。
久々にこのブログに立ち寄りましたら、コメントがたくさん入っていますね。コメントをじっくり読ませていただきました。

読ませていただいて、ミニFMが皆さんのよき想い出になっているのだなあと改めて思いました。KYCさんについては5素子八木を枚方へ向けて私もよく受信していましたよ。原始霧さんは岡村孝子の記憶が強いようですが、私の場合は麗美の「My Sanctuary」というアルバムを深夜エンドレスで流していたのが印象に残っています。798さんのことは本当に悲しいですね。あのお声がもう聞けないというのは私も寂しいです。

修士論文はまだ執筆中で、今年度末に提出予定です。
これまで、インタビューの録音を聴き起こしたり、同録テープを聴くなどの作業をしていて、それと平行しながら論旨を煮詰める作業を今年の夏まで続けていました。原始霧さんにはまたabstractをお送りいたしますので、確認などよろしくお願いいたします。なかなかそちらの方には行きづらいのですが、もし大阪にお越しの際には是非一度お会いしましょう。元リスナーさんの方で、もし私の研究に関心のある方は原始霧さんのHPを介してご連絡いただければ、なんらかのご返信をさしあげたいと思います。よろしくお願いいたします。

>kwarさん

KYCさんのサイト、拝見する事が出来ました。
ありがとうございます。
確かにずいぶん長い間更新されていないようですねcoldsweats01

あの頃のミニFMは、受信しているとなぜか急にEスポが発生してましたよねbleah
最初にKYCさんの電波を捉えた時は、それはもう非常にクリアなステレオ波でしたよthunder

KYCさんのサイトは、ずいぶん古くて更新されていませんが、
ダブルスラッシュの後、gx70g.tripod.com/です。
私も枚方からは相当離れています。
とっくに時効の話をしますと、ある日、夜中に淡路島の山頂にラジカセを持って行って、しっかり受信したことが…。Eスポでも発生していたんでしょうかねえ(笑)。

798さん、お亡くなりになったのですね。
もう二度とキュッパ節を聞く事が出来ないのかと思うと、寂しい限りです。

一方でKYCさんはご健在のようで何よりです。
KYCさん含め、当時の局長のWebSiteやblogがあれば拝読したいなと思いますね。

kwarさんは、自作アンテナとブースターで受信されておられたのですね!
私は団地高層階という好条件でラジカセのロッドアンテナで軽くKYCを受信出来ていたのですが、今から考えると本当に幸運というしかなかったと思います。
住所から考えると枚方からは相当離れていましたし、偶然受信していなければ気合い入れてブースターを作ろうというきっかけすらなかったに違いありません。

実は数年前の1月、798さんが前年に亡くなった
とのメールをKYCさんからいただきました。
私の家から798さんはロッドアンテナでは受信できなくて、
部屋につるした自作のアンテナとブースターで受信したことがあります。
マイルス・デイビスなどのジャズをよくかけておられました。
また、社会批評なども、しておられました。
私が聞いていた頃は、当時高校生だったBASS-FMさんを
よくラグチューでいじっておられたのが面白かったです。

>kwarさん

マルチさんの父親的存在だった798さんですが、私も実際お会いして究極の自由人として謳歌しておられるように見受けられましたので、あの方にお子さんがおられる姿が想像出来ません。

しかし、798さんとマルチさんはラグチューの際にもイベントの際にも面白いほど息が合ってましたので、もう親子みたいな関係でも良いような気は私もします(・∀・)

マルチさん(NKB-FM)のエピソード、私も同じような話をラグチューで耳にしたような気がします。
そういう私自身が受験生だったあの頃…
こういう記憶が記録にほとんど残っていないのは仕方ないかも知れませんが、もったいない話だと思いますね。

お久しぶりです。
チャトランさん、はじめまして。

チャトランさんも私がリスナーになる前のリスナーさん
でしょうか。当時の資料には見当たらないお名前です。
私が聞き始めたのはマルチさんが進学した年なので、
マルチさんが参加したラグチューは4年半で数回しかなかったようです。
マルチさんのお父様ですか? うーん、
その年齢に該当する方は、1人だけのように思いますが、
その方は、家庭を持つこととは無縁の自由人というイメージだったので、「親子」というのはラグチューでのネタだったのではないか、という気もしますが、どうなんでしょう(笑)。
ちなみに、マルチさん(NKB-FM)は、
「受験生なのに電波に熱中したので父親に蹴られた」という
エピソードをラグチューで話していたようです(笑)。
こんな記録を所持している私は、当時、相当なマニアだった
ようですね(笑)。

>チャトランさん

こちらこそ、初めまして…ではないかも知れません。
ラジオではお名前を聞いた記憶が蘇りましたし、1990年頃の夏に行った淀川河川敷イベント(マルチさんのバイクの給油タンクにロケット花火を差し込んで着火しようとしたり、「Fleedom West(Cold East)」Tシャツを着たりした)に私も参加していましたので、もしかするとそこでお会いしているかも知れませんね^^

マルチさんのお父様、さすがにKYCさんやタケちゃん、エミッタさんはあり得ないと思うので、限りなく候補は限定されますね^^;
()の中のお名前も懐かしいものばかりですね!
一夜限りでもいいから、もう一度彼らの徹夜ラグチュー(寝落ちするまでエンドレス!)を聴いてみたいものです。

はじめまして。

 私も1989年頃から1991年頃はよく聞いてました。
 確かね。マルチさんのお父様が、()のメンバの中にいらっしゃるのですよ。(KYCさん、798さん、BASSさん、HRSさん、LFさん、タケちゃん、エミッタさん、パヤパヤさん)
 お名前は忘れましたが、複雑な家庭環境をユニークな会話で楽しませてくれたのを思い出します。マルチさんが『クレタコラ』のEPをよくONAIRしていました。

>Kwarさん

KYCが1995年8月に無期限休局したという事実、実は初めて知りました。
私自身は1989年頃から1991年3月までしか聴いていないので、ちょうど私と入れ替わりでリスナーになられたんですね。
その頃のKYCさんや798さん、マルチさんなどの模様が記録に今も残っているのでしたら、是非お聞きしたいです。

今回修士論文を書かれた方は、KYC系はあまりご存じではなく、どちらかといえばKFS系(NFM系)やTIN系に詳しい方でして、枚方・寝屋川地区の混沌としたミニFM集中地帯の状況は大変参考になったのではないかと思います。

私はKYC系ネットワークのリスナーでした。
KYCというアマチュアミニFMを見つけた時は新鮮さに興奮し、
1995年8月に無期限休局するまでの4年余り、かなり熱中して、
今読み返すとぞっとするぐらい(笑)克明な記録を
とって聴いていました。

KYCさん、798さん、BASSさん、HRSさん、マルチさん、
LFさん、タケちゃん、エミッタさん、パヤパヤさん
といったメンバーのラグチューは、くだけた雰囲気で、
確かに面白かったですね。

局長の趣味で特定の歌手の音楽が頻繁に流れ、
私はアルバムを丸ごとエアーチェックしたり、
電波技術にも少しは興味を持って、受信アンテナを自作したりで、
私自身の趣味も影響を受けました。

修士論文は、どんなものだったんでしょうか。
とても興味があります。
もっと早くこのブログを見つけていれば、
何らかの協力ができたかも知れませんが…。

>ゆうさん

初めまして。
コメントありがとうございます。

豊中方面といえばTINさんのリスナーだったのでしょうか。
「らぐちゅ~」という言葉も懐かしいですよね。私自身久しぶりに使った言葉です。TINさんたちのらぐちゅ~も聴いてて楽しかった記憶があります。

なんか懐かしい感じで拝見させていただきました。
私も当時は豊中-伊丹方面でよく聞いてました。
なんか「らぐちゅ~」って表現が懐かしいですね。

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